読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

2004

泪にさえも戸惑うことなく願いを歌う

ある日担当がいなくなった話

私の担当がいなくなった話。元NEWSで元関ジャニ∞の彼。

ずっとぐちゃぐちゃした気持ちがあったのを思い切って書き出したというか、つらいことではあったけど忘れたくないから好き勝手に書いてみた。

 

 

デビューまで

1999年05月29日ジャニーズ事務所に入所。

先輩ウエキくんのジャニーズオーディションについて行って会場の端っこで座っていたときにジャニーさんに話しかけられそのままご飯に。そのあとジャニーさんの誘いを断り続けたところジャニーさんが最終手段に。甲子園で野球すること(甲子園に出たかった)が夢だった内を甲子園球場に呼び出し、プロの選手と野球をさせて夢叶ったでしょ?と事務所に入れてしまった。という変わった経緯で入った彼。

ちなみにジャニーさんと初めて会った際に、世界のジャニーに暴言を吐いている。

 

2001年3月安田章大丸山隆平、水野清仁(退所)、今山透(退所)とⅤ.WESTを組みボーカルとして活動。

Mステにも出たし、週刊Ⅴ.WESTというレギュラー番組も持っていたし、CMもやったし、グループ単独でライブ(Zepp Osaka)もした。関西ジュニアとしては異例の待遇の中で生きていた。

週刊Ⅴ.WESTの中で今の関ジャニ∞のメンバーがゲストとして来る回もある。(関ジャニ∞は全員内より先輩)

 

2002年J3KANSAIで関ジャニ∞を結成。

内はメンバーにとてもかわいがられていたと思う。特に三馬鹿は内に甘かった。し、内も甘え上手だった。顔もかっこよくて身長もある、かわいいところがあってヘタレ。ちょっとチャラいところもよかった。ちょうどヤマンバだなんだ流行っていたころだし、関ジャニもみんなそれなりにチャラかった。

錦戸と人気を二分していたといわれているけど私は内のほうが当時人気があったように思う。茶髪とか格好とか、錦戸より派手で目立つ存在だったと思う。もちろん絶対的なツートップには違いないけど、当時のエイターは内担当じゃなくても内のことを好きな人が多かったように思う。内担当だったがゆえによく見すぎているかもしれないけど、内博貴を嫌いな人はあまりいなかったと思う。少なくとも私の周りにはいなかった。それくらいアイドルだった。行動がというよりは存在が。

 

私情を入れておくと、ほんとにかわいくてかっこよかった。身長がある分衣装は様になるし、三馬鹿をなんだかんだ頼りに(というかいいように使ってた?)しているところも、年下のくせに錦戸に強気で生意気な内亮なところも、喋ると結構毒舌で失礼だったり(何事にも素直に発言しちゃう)するところもすごく魅力的だった。

 

 

2003年NEWSとしてデビュー

2003年9月15日、新高輪プリンスホテル飛天の間で、結成披露の記者会見を行いNEWSとして活動することが発表された。

セブンイレブン独占販売という特殊な方法ではあったけれど、同年11月7日「NEWSニッポン」で錦戸亮と一緒にNEWSとしてデビューした。衝撃だった。関ジャニ∞を脱退したという話がなかったことが救いではあったけど、いつ解散するかわからない状況にドキドキしていたのを覚えている。

あのころは内自身はいつも通り自由に見えたし(錦戸と一緒にいることが多かったこともあるかな?)あんまり気にしてないのかなあなんて思っていたけど今思うと関ジャニ∞の時とは彼の雰囲気がだいぶ違っていたし戸惑っていたのを隠していたかもしれない。あんまり細かいことを気にするような人ではないし本当に流されるまま目の前のことを一生懸命やっていただけかなとも思う。あくまで想像。

 

少し戻って同年1月、草彅剛主演『僕の生きる道』に出演。第6回日刊スポーツ・ドラマグランプリ新人賞を受賞した。

www.nikkansports.com

 

 

2004年8月25日関ジャニ∞としてデビュー

浪花いろは節』をひっさげて関ジャニ∞関西限定CDデビュー。そのあと無事に全国デビューもする。NEWSと格が違ったことなんて気にならない嬉しさ。関ジャニ∞も本当に嬉しそうだった。

 

 

2005年夏

2005年7月5日から9月13日までフジテレビ系列で『がんばっていきまっしょい』に錦戸、内で出演することになった。内は学年一の男前で秀才の中田三郎というイケメン役を演じた。錦戸との共演は話題で、各アイドル誌で特集されたりヲタク界隈ではそこそこ注目されていた。

1話で、クールなイケメンぶりを発揮。秀才でミステリアスな感じも本当にかっこよくて続きが気になるところだった。

しかし、事件の影響で2話で降板。わたしは当日見ていなかったんだけど、友人によると3話は内が塗りつぶされての放送だったらしい。このことがあって後からも私は見ていないので本当のことはわからないけれど。当時、話自体は7話前後まで撮ってあったといわれていたし、撮影地等こだわっていたドラマだったので突然の差し替えはできなかったのだろうと思う。ちなみに後に出たDVD-BOXでは「中田三郎」という名前を呼ばれるシーンはあるが本人の登場はない。4話からKAT-TUN田口淳之介が中田三郎を演じている。

 

 

2005年7月16日

未成年の飲酒で保護。無期限の芸能活動自粛となる。

前日15日にミュージックステーションにNEWSが出演。錦戸、内は欠席だった。

 飲酒に至った経緯をフジテレビが発表した。NEWSは14日に仙台市体育館で行われた「日本対オランダ戦」に出演。試合後、メンバー6人は帰京したが、少年を含む2人は翌日に大阪で仕事の予定があり宿泊。午後9時ごろから同局スポーツ局社員との食事会に参加。その席で、社員や成年メンバーとともに飲酒した。
 食事会後、ホテルに戻ったが、翌15日午前1時ごろに別の飲食店に。そこで再び酒を飲んだという。その後、少年は宿泊先のホテルに1人で帰ろうとしたが、途中で補導された。
 仙台中央署によると15日未明、同市内中心部の勾当台(こうとうだい)公園で「少年が暴れている」という通行人からの通報で、署員が1人で大声を出していた少年を見つけ任意同行。少年が酔っていたことから、酔いがさめるまでの3~4時間、署内で保護。厳重注意をした上でホテルに帰した。同署は「かなり酔っ払っていた」としている。 

逮捕だ、補導だとよくいわれるが、内は“保護”されただけということは伝えておきたい。内が悪くはないとは言わないけれど、逮捕でも補導でもない。会話もできず、迎えの人に連絡することもできなかったために警察に保護された。

そして、内に無理やりお酒を飲ませておいてなんの処分もなかった菊間千乃元アナウンサーの存在。菊間の会社であるフジテレビは過去に番組中に菊間に怪我を負わせたことがあり、その負い目があってこのときなんの処罰もしなかったといわれていた。現在は弁護士になっている。個人的には関ジャニの未来も内も未来も私みたいなファンの未来もぶっ潰しておいて、っていう気持ちがあるしこの世の言葉では表せないくらい恨んでいるけど、内がまったく悪くなかったとは言わないし、実際何が起こっていたのか真実がはっきりしないのも事実だからこのくらいにしておく。

 

 

でも、突然応援していたアイドルが目の前から消えてしまったことは一生忘れられない。

 

 

 

ある日担当がいなくなった話

内がいなくなって世の中は何も変わらなかった。レギュラー番組は内がいないまま普通に放送されて、コンサートも内がいないまま開催されて、雑誌も何も変わらなかった。

 内がいなくなって内担がなにもしなかったわけじゃない。いつ戻ってくるのか、戻ってくるのかもわからない内に少しでも早く会いたくて、事務所に手紙を送ったり、署名活動が何度も行われていた。当時だいぶ普及してきていた携帯での署名活動が一番活発だったのを覚えている。何千件も集められた署名は事務所にも何度か届けられているはず。

 

一緒に仕事をしていた錦戸も当時は責められていた。菊間との飲みの席に同席していたが先に帰りそのことを事務所が隠ぺいした。とか保護された内の身元引受人になった。とか噂されていたこともあった。実際は「事件を知った時にはドラマ撮影中で、愛媛に居た。」らしい。

 

内が謹慎になったことで、終戦記念60周年ドラマ「約束」がお蔵入りに。「好きやねん、大阪。」も録りなおしに。「約束」は撮影も終わっていて放送するだけだったし、「好きやねん、大阪。」は8人の音源がすでに放送されていた。今でも思い出すと悔しくてたまらなくなる。

 

 

いなかった月日の中でつらかったのは噂と詳しい説明がないために少しだけでも希望を持ってしまうこと。復帰の噂は、当時最盛期だった掲示板で何度も話題に上がっていた。

2006年の成人式。ジャニーズ恒例のその式に20歳の内が増田貴久とともに参加すると噂があったがもちろんというべきか内の姿はなく、同月に草野博紀の芸能活動自粛も発表された。それによって、内の復帰が遠のいたなんて話も聞くようになった。審議はわからないけれども。そのあとも復帰の噂は、増田の誕生日(7月4日)、内の誕生日(9月10日)など何度も上がった。

20歳だったのに祝えなかった悲しさや情報が出るたび期待して落とされてなどで結構つらい年だったのは今でもよく覚えている。

 

本当かウソか真偽不明なもの等、当時言われていたことを。


内の謹慎が決まった後、仙台から帰ってきた錦戸を関ジャニ∞のメンバーが大阪駅のホームで出迎え。泣きながら村上に抱きついていた錦戸を慰める姿が目撃される。

 

関係各所に関ジャニ∞のメンバーで謝りに行った。

 

謹慎直後から大倉がWebの連載で『8→1』と言う言葉を書き、2008年12月25日まで書き続けられていた。(事実)

 

2005年7月28日Webの連載で錦戸が意味深な更新をする。

縦から読むと『内頑バ老ナ俺らハ松照殻(うちがんばろな、俺らは待ってるから)』となることから暗号でメッセージを送ったのでは?と言われている。

 

前夜祭後のWebで大倉が『次は大阪城ホールに完全色な花を咲かせます』と更新。

 

 

 2006年NEWSは1年の活動休止から6人で再始動した。それと同時にWebのNEWS、関ジャニ∞のプロフィールから内の名前が消える。

2006年末、内博貴はジャニーズ研修生として芸能界に復帰した。

 

 

復帰してから脱退宣言まで

2007年7月PLAY ZONE'07 Change2Chanceで現場復帰。

2007年8月5日全国47都道府県ツアー東京ドーム公演アンコールに登場。(錦戸が勝手にステージにあげたらしく、あとでメンバー全員怒られたそう)

2007年11月11日に発売予定だったDVD「少年隊PLAYZONE 2007 Change2Chance -第1幕-」が元光GENJIメンバー赤坂晃覚せい剤所持現行犯逮捕によって延期に。→販売中止

2008年1月3日NEWS CONCERT TOUR Pacific2007-2008のMCで草野とともに研修生卒業を発表。

2008年1月一瞬の風になれでドラマ復帰。内の兄役で錦戸も出演。

2008年12月単独コンサートを行う。以後2011年まで毎年ライヴをしている。

2010年4月舞台ガイズ&ドールズで初主演をつとめる。

2011年の全国ツアー、内博貴 with Question? Summer Live 2011名古屋のMCで関ジャニ∞に戻らない旨を本人の口から発表。本格的な脱退になる。

このライブの東京では内が説明する時間が日に日に延びた。最終日は1時間越えだったと記憶している。あんなにみんなタオルを抱えて泣いていたのは後にも先にもその時した経験したことがない。あんなに泣き声で溢れたSHIBUYA-AXを私は他に知らない。でも、本人は泣いていなくてむしろ晴れ晴れとした感じだった気がする。次のステージが見えているみたいでかっこよく見えたけれどどうしようもなくさびしくて悲しかった。関ジャニ∞に戻らない。と言われていない、いつか絶対に戻ってくれる、っていうのが支えだった部分があったから本当につらかったなあって今でも思う。

2012年9月(記憶違いかも。あとで変えるかも)のライヴで2011年に発表した脱退は、事務所にも関ジャニ∞にも話を通さず自分で判断して勝手に発表したとさらっと言う。

 内らしいし、本人なりのけじめなんだろうなあと今なら考えられるけど、当時はいらってした。笑

 

 

復帰後も関ジャニ∞のメンバーから期待を持たせるような発言、行動が多少あったしどこから出てきたかわからない噂もたくさんあった。関ジャニ∞にとって8枚目のシングルであるワッハッハーが売れたら内は戻れるらしいとかいろいろあった。

少しでも期待を持ってしまうのがつらかった。

 

そんなこんなを繰り返して上記の2011年夏、内がグループに戻る戻らない問題が収束した。

 

私はSHIBUYA-AXのあの光景は一生忘れないんだと思う。

いま内くんからは少し離れたけど芸能界で活躍してほしいと思っている。できることならジャニーズ以外の人にも知ってもらえる人になってほしいと思っている。舞台方面で活躍の機会が増えて本当に嬉しい。アイドルしてくれたらもっと嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

田口がいなくなることで最近よく内くんを思い出します。ジャニーズで頑張っていてくれるだけ幸せだったんだって実感してます。

内くんがいない間、私は田口担当でした。田口には勝手につらかった時期を助けてもらった感覚を持ってしまったから3月になってすごく気持ちが定まりません。

 

あーーーーーーーーー!田口!今すぐウソウソカワウソって言って!!